「熊を殺す」は、群馬県六合村の湖をモチーフに、民話の語りを取り入れながら、人の世界と森の世界のあわいを表現した作品。湖は山と村の境界に佇み、昔から山の生き物と村の人間のひやりとする接触の場であった。 湖畔には、動物との奇妙で唐突な接触、水の底や森の陰に住む形の見えないものとのやりとりなど、どこか恐ろしいが取り留めのない民話が漂っていた。夕闇に落ちていく山の中、獣の光る目を炎を勘違いして、煙草に火をつけようとした男の昔話がある。キャンプ場には、ダム建設で死んだ幽霊が出るという。ひとは今も昔も湖畔で様々な幻視を経験する。熊笹をかきわけて暗い森を奥へ奥へと進んでいけば、様々な獣の気配を感じるが姿は見えない。
引き沼という名前が残っているのは
その曲がり角の先の空き地で
かなりの大きな沼があったことと思われます
もう少し川に近づけば
赤茶けた水が不気味でした
川上で獣が死んでいるからよく魚が肥えている
いつのころからか水がだんだんとなくなり
砂地にかわりはじめ
主が岩の裂け目から引っ越していきました
主は対岸の沼から山の上へと川をつたってのぼっていき野反の池に
主は男か女かわからないが女であるような気がする
池のおもてを揺らして騒ぐと怒って雨を降らせる
雪を厭うて仮住まいをしていた人たちが去ると
村は寂しくなり主は愛想を尽かして
曲がりくねった小道をのぼりながら
振り返り振り返り
「みっともない さみしい村になる」
と言って山に入り野反湖に引かれて沼と共に消えた
獣が起き出す頃の話です
急速に落ちていく夜の帳の中
山の中を進んでいく背中や
痩せて干からびたような首筋を見ながら
家の庭で騒ぐ大人たちの声を思い出していました
この車はどこに向かっているのだろうと思いながら
隣にある、
黒くて大きな体とぶつからないように
慎重に背を曲げながら体を横たえました